イデアの世界

注意の「前」にある、この「人間の外面」をよく「見る」と、「不滅性」の「抽象」が在るのがわかった。この事実は、さらに「不滅なすべて」を「見る」可能性を開示しつつあるようだ。


「人間の内面」による構築のおかげで、よく知っている「物質世界」を見ていると信じているが、その構築を超えて注意深く、一体何が本当に「前」に立ち顕われている?をよく「見る」なら、一つ一つが「不滅な何か」に触れているのがわかる。もしこの「不滅な何か」を直観に従って「イデア」と呼ぶなら、実は「イデアの世界」が、今ここの「前」である「人間の外面」に立ち顕われていたのである!


(ヌース的に言えば、「変換人」の)思考とは、「人間の内面」に落ち込んで「イメージ」を願望的に操作することではなく、「人間の外面」に立ち顕われている不滅なる「イデア」を注意深く「見るコト」であり、それに満たされるコトであるとわかった。


「満たされる」と表現したのは、この種の思考はこそが「神聖な安らぎ」を導き、求め続ける胸(ハート)の渇きを潤すからである。