パワーウィズの原点ー不登校し高校中退した15の誓い

不登校して、高校中退したこと。
実は、私にとってはとても名誉なこと。
15歳の時に、この社会のシステムから切断することを決めたのだけど、
その後どう生きるかが大切なのだと思っていた。


不登校は優秀な一部の子供の発達の仕方」という捉え方を、
ティーブン・ギリガンにも師事した崎尾英子さんが、『新しい子供たちー日本を変える登校拒否児』という23年も前の1992年に出版された本に、表明されていた。

新しい子供たち―日本を変える登校拒否児

新しい子供たち―日本を変える登校拒否児


当時は毎週ラジオの子育て相談番組で彼女の話を聞いて感銘を受けていたのだけど、実際に会ったことはなかった。不思議な縁で、2010年にスティーブン・ギリガンを通して、彼女と深く出会うことになる。このことは、いつか話せる時が来たら話したい。


不思議な縁に導かれた多くの出会いと、支えがあった。
この社会のシステムから切断することによって出会える恩恵の流れが、確かにあって、自らの運命の力を本当に支えてくれるのは、これらの恩恵なのだと思う。


そんな運命の力と、恩恵の流れに触れ始めた18歳の頃に書いた私の文章があるので、今日はそれを紹介したい。


パワーウィズ・コミュニケーションで追求したいヴィジョンの原型も、当時の私の中に熱い想いを担って芽生えていたよ。


「僕は、中学、高校と、いつも思っていた。どうして、互いにビクビクと自分の感情をおし殺していなくちゃいけないのか? なにか息苦しい、押し込められているような気分。個と個が殺しあう全体。


分子の運動をイメージする。初めさまざまな運動エネルギーをもっていた個々の分子も、衝突を繰り返しているうちに、平均化されてくるのだ。一様な世界。もはや個性はない!


これが宇宙の摂理なのか? いやちがう!たとえそれが熱力学の第2法則であっても、局所的には破ることができるはず。そして、それを破ろうとしているのが、生物ではないか!(もしかしたら、”生きる”というのはこういうことかな? と勝手に解釈して悦に入っている)


だとしたら、今のようなモデルは、人間には合わないんだ。個と個が生かしあう全体!これでなくっちゃ!


森毅の大好きな雑木山をイメージする。いろんな木が、おれもおれもと生きている。あっち向いてこっち向いて、われ関せずで生きている。でも、1本も欠けちゃダメなんだ。どんな変な木にも、その存在の価値がある。変な木もみんなから見守られて、胸を張ってのびのびと生きているんだ! いや、もはや「変な木」なんてないんだ!


学校は、杉山であっちゃいけない。雑木山であってほしい。僕はそういう学校、社会が存在し得ると信じている。原子のない時代に、原子が存在し得るモノであったように、生命のない時代に、生命が存在し得るモノであったように、人間のいない時代に、人間が存在し得るモノであったように・・・」


全文はこちら♫
http://powerwith.jp/files/Go_Jiyuunomori.pdf


共感と自覚を深め、この恩恵の流れを意図的に流す側にまわる道が今導かれているのだと思う。