父との和解

昨日の夜、週末録画しておいた大河ドラマの「江」(第45回「息子よ」)を見ている時だった。
一緒にビールを飲みながら、父がドラマの進行に合わせて、既に放送日に見ていたので、
「これを昨日見て、剛にこれまで父親らしいことをしただろうか?と考えた。。。」と突然言い出した。


そしてドラマの中の家康の台詞に合わせて(ちょうど秀忠が「父としてはどうなのですか、将軍ではなく一人の子として? 私をどう見ておいでなのですか?」と父家康に問いかける所で)、私の肩に手を置き(こんな風に触れられたのさえ始めてかもしれない。。。)、「わしにも、聞いてくれ」と、少し酔っぱらった口調でにこやかに笑いながら尋ねた。


家康が感極まって「可愛いのよ。」と答えるのに続いて、父も「可愛いのよ。」と本当に嬉しそうにつぶやいた。ドラマのまねをしてしか表現できない父だけど、その言葉に嘘はなかった。思わず私も感極まって涙が込み上げた。


金曜日の夜にも、「明日から結婚したいと思う人と京都に行って来るんやで」と何気なしに言った時に、私にとっては意外な感じだったのだが、とても嬉しそうな顔をしてくれたコトが記憶に新しい。


スピリチュアルのかけらも見当たらない父。
ところが「真実」は、何気ないありきたりの幸せを心の底から本当に望んでくれている父がそこに在った。ハートでしか見えない「真実」。これが見えるコトが「奇跡」なんだと思う。


昨日から、「奇跡のコース」のワークも「My mind holds only what I think with God.(わたしの心は、神と共に思うことだけを保ちます(香咲訳))」の復習シリーズが始まっている。


アバターコースでも、父のことを結果的にワークする事になった。父に対する「知覚」が訂正されつつあるのがわかる。父の方にではなく、「真実」を曇らせているモノは私の側にあるコトが非常に明らかになった体験だった。父との和解は、「真実」との私の和解である。「真実
」(「神と共に思うこと」!)がおぼろげにだが、そのシンプルな姿を顕しつつあるようだ。