痛ましい「記憶」

ここ数日、いろんな「記憶」が蘇って来ている。夢もまたアクティブになっている。
意識的にクリーニングし始めたからだろうか?


100%の責任を取るというコト。
ゼロだったら、新たに連鎖する「記憶」を産み出しはしなかったであろうから。
そこに責任があるというコト。
ゼロの時は、「記憶」は全く違う質のものになる(「第四の道」の言う所の「第3の意識状態」における「記憶の創造」)。
「永遠」に刻み込まれた「体験」であり、時間を超越している。
決して時間内での連鎖を生じさせないという意味である。


時間内で連鎖し身体を痛ませる「記憶」を、クリーニングするコト。
ある「記憶」は、痛ましい程こんがらがっている。無念な想いや、理解されない悔しさ、突然の不可解なショック。子どもがどうして突然泣き出すのかがとてもよくわかる。この「記憶」が再生される度に、怒りなどの強い感情も呼び起こされるが、非常に「主観的」であるコトもよくわかっている。