クリーニングし続けるコト

を読んで、知らず知らずの内にクリーニングをず〜っとしてきたんだな〜と感極まって腑に落ちた。


10代の後半に無意識の「地獄の釜のふたを開け」(確か竹内俊晴がこのように表現していた)てしまってから、クリーニングをしないと身体中(特に、ハラから背骨を通じて首の後ろ辺り)が痛くなって来るのだ。不思議なのは、「自己想起」(「人間の外面」と「自己」の「等化」の顕在化!)が在る時だけ、この痛みが消失するというコト。この観察は以前からあったのだが、どうしてなのかは説明できずにいたのだ。


食べるコトやテレビを見たりするコトは、一時的に(それらがグルジェフの言うバッファー(緩衝器)として働くため)この痛みを忘れさせてくれるが、余計にゴミを溜めてしまう。クリーニングはし続けるしかない。いつどこにいても、真剣に。100%の責任を持って。


「見るコト」は、クリーニングするコト。